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【岐阜県大垣市】飯沼慾斎と自噴水「俵町薬木広場」

【岐阜県大垣市】飯沼慾斎と自噴水「俵町薬木広場」
記事内に商品プロモーションを含みます。

大垣は「水の都」と呼ばれるほど湧水スポットが多数あります。

自噴水の多くが整備されており、その1つが「俵町薬木広場です。

しっかりと整備されており、実際に訪問してみたので紹介いたします。

「俵町薬木広場」について

俵町薬木広場 俵町薬木広場 愛香園 俵町薬木広場 自噴水

俵町薬木広場は、大垣市の賢人・蘭方医である「飯沼慾斎」の住居跡近くに32種713本の薬木が整備された場所で、約270m2の小さな広場です。

愛香園という愛称がある通り、1年を通して樹木の香りが楽しめる公園になっています。

リンネ植物分類法を最初に採用した「草木図説」を出版したことから、近代植物学の先駆者・創始者ととして称えられ、その功績になぞるように薬木が植えられています。

大垣市のわくわく湧き水マップに載っている自噴水がありますが、汲む場所がなく広場自体も小さいので、大垣の自噴水の中ではひっそりしています。

水質検査表もないので、飲水に適していませんので注意してください。

俵町薬木広場 看板 俵町薬木広場 薬木説明板

薬木以外にも、飯沼慾斎の胸像・薬木説明板・井戸ぶねなどが設けられています。

薬木ごとに薬木説明板がしっかりついており、用部・用途・漢方・成分が記載されています。

飯沼慾斎について

飯沼慾斎

飯沼慾斎の胸像の解説板には以下のことが記載されています。

飯沼慾斎は、天明3年(1783)伊勢国亀山に生まれた。大垣の町医者飯沼長顕(伯父)の養子となり、医学を学ぶ傍ら、本草学者小野蘭山の門に入り本草学を修めた。晩年、長松村の別荘『平林荘』に隠棲して植物学の研究に没頭し、世界的な植物学書といわれる「草木図説」を著した。

12歳の頃、家出同然に母の実家で大垣竹島町の宝来屋にやってきます。

医者の道を志し23才のとき京都に遊学し、福井楓亭に外科を学び、賀川満郷ほかの医家から産科と本草学を学びました。

このときに、本草学の最高の権威者である小野蘭山に入門しています(美濃赤坂の金生山に採薬したときに入門した説もあり)。

28歳のとき江戸に出て、宇田川榛斎・藤井芳亭に蘭学を学び、大垣に帰り蘭方医を開業しました。

美濃地方では最初の人体解剖もおこなっており、医学の道でも先駆者でした。

1832(天保3)50歳で家督を義弟に譲って、別邸である平林荘で博物学の研究に専念しました。

著書に『草木図説』のほか、以下のものが挙げられます。

  • 『本草図集』十一巻
  • 『南勢菌譜』六巻
  • 『南勢海藻譜』一巻
  • 『南海魚譜』四巻
  • 『林氏訳稿』十四巻
  • 『植物用語対訳』
  • 『雑筆記』
  • 『医説』

『草木図説』について

『草木図説』は、草部20巻・木部10巻・禾本沙草無花部10巻からなり、飯沼慾斎の生前に刊行されたのは草部20巻のみです。

以下の4点が特に評価されています。

  1. 植物の標名を和名で統一し、これに対するラテン語の学名あるいはオランダ語の俗名を決定した
  2. 自ら観察・栽培した植物の葉枝花実の構造・生態について、詳細・正確に記載した
  3. 全体図・拡大図・解剖図などの写生図を、画工ではなく自ら顕微鏡を用いて描いた
  4. 印葉図法を採用した

『牧野日本植物図鑑』が出版されるまでは、日本で1番近代的な植物図鑑でした。

NHK「連続テレビ小説」第108作『らんまん』の主人公となった「牧野富太郎」が、不足している部分を付け足し、間違っている箇所を訂正した『増訂草木図説』を出版しております。

「俵町薬木広場」へのアクセス

  • 所在地:〒503-0876 岐阜県大垣市俵町
  • 公共交通:名阪近鉄バス「大垣市役所」から徒歩約1分
    ・タクシー:タクシーアプリ「GO」
    ・レンタカー:skyticketレンタカー
  • 自動車:東海環状自動車道「大垣西IC」から車で約10分

駐車場について

大垣市役所 駐車場

俵町薬木広場には駐車場はありません。

徒歩1分のところに大垣市役所がありますので、そこの駐車場を利用することがおすすめです。

交差点の面しているので、路駐は非常に迷惑ですのでやめましょう。

まとめ

旅行 計画

飯沼慾斎にゆかりがある自噴水「俵町薬木広場」を紹介しました。

大垣を代表する偉人について知ることができる素敵な公園です。

大垣の他の自噴水についても踏査していますので、興味があればご参照ください。

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