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『死とは何か』を読んで、死生観について本で学んだことまとめ!

『死とは何か』を読んで、死生観について本で学んだことまとめ!
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民俗学の学ぶならば、人々が持つ死生観が「文学・思想」などにどのように影響を与えるか考慮しなければなりません。

日本では禅的思考が根深く息づいていますが、海外ではどのような死生観を持っているか興味がありました。

それを学ぶ一環として『死とは何か』を読みましたので、書評・要約のように綺麗に整理できていませんが、感想・勉強になった内容をまとめてみます。

『死とは何か』とは?

読みやすさ
専門性
役立ち度

【完全翻訳版】

  • 著者:シェリー・ケーガン (著)・柴田裕之 (翻訳)
  • 出版社:文響社
  • 発売日:2019/7/12
  • ページ数:751ページ

<目次>

  • 第1講:「死」について考える
  • 第2講:二元論と物理主義
  • 第3講:「魂」は存在するか?
  • 第4講:デカルトの主張
  • 第5講:「魂の不滅性」についてのプラトンの見解
  • 第6講:「人格の同一性」について
  • 第7講:魂説、身体説、人格説――どの説を選ぶか?
  • 第8講:死の本質
  • 第9講:当事者意識と孤独感――死を巡る2つの主張
  • 第10講:死はなぜ悪いのか
  • 第11講:不死――可能だとしたら、あなたは「不死」を手に入れたいか?
  • 第12講:死が教える「人生の価値」の測り方
  • 第13講:私たちが死ぬまでに考えておくべき、「死」にまつわる6つの問題
  • 第14講:死に直面しながら生きる
  • 第15講:自殺
  • 死についての最終講義:これからを生きる君たちへ

【日本縮約版】

  • 著者:シェリー・ケーガン (著)・柴田裕之 (翻訳)
  • 出版社:文響社
  • 発売日:2018/10/5
  • ページ数:384ページ

<目次>

  • 第1講:「死」について考える
  • 第2講:死の本質
  • 第3講:当事者意識と孤独感――死を巡る2つの主張
  • 第4講:死はなぜ悪いのか
  • 第5講:不死――可能だとしたら、あなたは「不死」を手に入れたいか?
  • 第6講:死が教える「人生の価値」の測り方
  • 第7講:私たちが死ぬまでに考えておくべき「死」にまつわる6つの問題
  • 第8講:死に直面しながら生きる
  • 第9講:自殺
  • 死についての最終講義:これからを生きる君たちへ

『死とは何か』は、日本日本縮約版が先行して出版され、反響があってから完全翻訳版が出版されています。

内容については、本書の第1講・第8講~第15講「死についての最終講義」は、日本縮約版と同じ内容で、完全翻訳版は第2講~第7講の追加に伴い、原書に従う形で一部を再編集しています。

縮小した部分については文響社HPにて無料公開されていますが、深く勉強したい場合は最初から完全翻訳版を買って読んでみてはいかがでしょうか。

https://bunkyosha.com/books/9784866510774/article/1

『死とは何か』を読んで勉強になったこと

『死とは何か』では「死」について哲学的に理解することができます。

大学の授業を書籍化したため、「死について」理詰め751ページかけて徹底的に実施していきます。

なので、ページ数もさることながら、内容自体も気軽に読めるものではありません。

理詰めによる論理展開をひたすら追っていくことになるため、感情的に訴えてくるものもありません。

また、宗教色を一切排除し、正しい・正しくないという観点ではなく、イェール大学のケーガン先生「こう思うけど、皆はどう考えますか?」というスタンスで進んでいきます。

それが心地よい方もいますが、小難しいことの羅列に辟易する方もいらっしゃるかもしれません。

私は前者で、とても頷きながら、授業を受けるかのごとく楽しく理解することができました。

本書は、徹底的に以下のこと証明していきます。

『死とは何か』の要点

  • 死後に存在することはできない
  • 死は特別謎めいたものではなく、恐れる必要はない

死後に存在することはできない

「死後の生など存在しない」と先生はいい、第2講〜第7項まで32〜387ページを割いて説明します。

第2講では、人間について、二元論の「魂・身体」・物理主義の「身体のみ」の2つの立場を取ることができることが示してあります。

先生は、魂は存在せず身体のみが存在し、身体が死亡したらその先はないことを主張します。

第3講では、魂がないとうまく説明できないことが存在するのかを探っていきます。

人間らしく思考する能力が身体の外部に存在する必要がないため、「魂があるといえる最善の説明がない」こと示します。

現時点において「魂がある」より「魂がない」の方が優れた説明ができることを、第4〜7講で証明していきます。

第4講では、デカルトの「我思うゆえに我あり」の理論に基づき、「身体から魂が抜けて別々である状態を想像できるから、身体と魂が別で存在するかもしれない」という話をします。

しかし、「明けの明星がなしで宵の明星を想像できるなら、明けの明星と宵の明星は違うものだと言わなくてはいけないが、同じ金星なのでそれはおかしい」と否定します。

第5講では、プラトンのイデア論による、「永遠で非物質的なものは、それ自体が非物質的なものによってしか把握できない」という話をし、数字などの形相を帯びたものを理解できるのは魂が存在するかもしれないと考えます。

しかし、電波などの非物質的なものも計測機で計測することができるので、間違っていると主張します。

第6講では、「私が私である人格を証明するために、魂が必要であるかもしれない」という話をします。

これについて、ジョン・ロックが魂を神様が入れ替えたとしても感知することができないので、人格の同一性を魂で説明することは難しいと説明します。

第7項で人格が大事なのか・身体が大事なのかという話になっていきます。

そこで、「ナポレオンの人格を持っている人が現在にいれば、その人はナポレオンなのか?」という疑問を投げかけます。

どんなに頑張っても、ナポレオンの身体を持っていない場合、それをナポレオンだと説明できないため、人格ではなく身体が重要であることを結論づけます。

7講までの話で、魂がなければ説明できないことはなく、身体だけで説明することができると主張します。

魂は存在せず身体のみが存在し、身体が死亡したらその先はない、「死んだら一巻の終わり」だと論理的に本の半分のページを割いて説明します。

死は特別謎めいたものではなく、恐れる必要はない

残りの半分の第8講〜15講をかけて、「死は特別謎めいたものではなく、恐れる必要はない」ことを証明していきます。

第8講では、死の本質は、人間らしさが損失した時点であると定義します。

第9講では、「死ぬときはみな独りだ」というのは間違っていると主張します。

病院で皆に看取られて死ぬ場合は一人では決してないし、突然死ぬ場合は孤独感を感じることができないからだといいます

第10講で「死が悪い」ということは、人生の良いことを剥奪するからであると示し、第11講では「不死」を手に入れたら剥奪されないがそれはいいことなのかを問います。

永遠の時間を退屈に過ごさないように趣味・価値観を変えていく中で、数万年後の私は私という自我を保てるでしょうか?いや、全く別人になっているでしょう。と説明します。

そのため、不死の人生というのは望ましくないということを導き、逆説的に死ぬことは悪いことじゃないのではないかと主張します。

第12講では、人生の価値は、ただ生きているだけではなく、痛みと快感・実績と失敗を合計するのが重要です。

そのため、人生全体がこれ以上良いことを提供できなくなり、総和がマイナスの場合は死ぬことは悪くなく、むしろ良いことのように思えます。

死をどのように捉えるのかは、個々のおかれる立場によって変わってきます。

したがって、第13講では死ぬまでに6つの問題について考えなければなりません。

  1. 死は避けられないのが、良いのか・悪いのか。
  2. 寿命のばらつきがもたらすのは、幸せか、不幸か。
  3. いつ死ぬか分からないから、良いのか・悪いのか。
  4. あとどれだけ時間が残されているかを知れば、喜んで受け入れて、人生を最も有意義な形で終えられるだろうか。
  5. これで死ぬなら本望だと言えることは何か。
  6. 楽観主義者か悲観主義者か。

これらについてはどちらを選ぶべきかは示さず、立場によっていろんな考えができることを示すに留めています。

第14講では、死と向き合い、恐れる必要がないと主張します。

なんかを対象に恐れを抱くには、以下の3条件が満たされてないといけません。

  • 対象が悪いものであること
  • 対象が起こる無視できない可能性があること
  • 対象が起こるかどうか確かでないこと

しかし、死んだりどのようにもならないので悪くなりようがないし、必然的に死が待っているので、恐れる理屈がないのです。

第15講では、自殺が功利主義的にも義務論的にも常に正しいものではないが、正しい場合もあるということを示しています。

これらのことから、第8講〜15講をかけて、「死は特別謎めいたものではなく、恐れる必要はない」ことを示されました。

『死とは何か』を読んで今後勉強すべきこと

勉強

『死とは何か』を読むことで、死について哲学的な側面から考えることができ、自分の死生観を色々考え直すきっかけになりました。

禅での死生観については、『禅と死と』を読むと少しわかりやすいかもしれません。

まとめ

『死とは何か』を書評・要約のようにまとまっていないかも知れませんが紹介しました。

まだまだ未熟であり、死生観や禅を理解をするには勉強が必要です。

今後も勉強していきたいと思います。

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