概論

農業土木の歴史 その1 縄文時代~9世紀

農業土木の歴史 その1 縄文時代~9世紀

出典:菜畑遺跡の復元された水田

農業土木の歴史は、縄文時代~弥生時代の稲作により水田が造成されたところから始まります。

縄文時代の地層から、稲の「プラントオパール」が検出されたことから、縄文時代には稲が作付されていたと言われております。プラントオパールは、植物細胞内に蓄積されたケイ酸の塊で、栽培植物を判別できます。

菜畑遺跡などの遺跡から、縄文時代に陸稲から水稲に代わったと言う説があります。

縄文時代以降、歴史とともに農業土木も進歩していきます。

7世紀頃 ~班田収受法・条里制による区画整理の基礎~

出典:条里制

7世紀、班田収受法が行われました。

「公地公民」という土地と人は国の支配を受ける方針のもと、人に与えた戸籍に対して6歳以上の男女に口分田を与えて、生きてる間は口分田ごとに粗という税を取り、亡くなったときに返却をさせる制度です。

この班田収授法を施行するためには、土地の単位が必要になったので、条理制というものができました。

耕地を6町(1町=108m)間隔で縦横に切り、この1区画を「」として、区画整理が行われました。(ちなみにですが、1町×1町の区画を1坪といいます。)

はじめて、農地を単位ごとに区切る区画整理が行われたことが重要になります。


8~9世紀頃 ~行基・空海による土木工事~

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出典:満濃池

8~9世紀頃になると、中国からの最新の土木技術が伝わります。

特に、行基などの僧侶が中国から土木技術を広め、農業と土木事業が密になりました。

このころ、粗・庸・調の税金により民は疲弊しており、飢えや病が広がっていました。聖武天皇が仏教で世の中の不安を鎮めようとしていた時代です。

行基は利他行を布教していく中で、農業用ため池・灌漑施設(用水路等)・農道・農道橋の整備などの土木工事を民衆広げていきました。

こうした活動のおかげもあり、民衆の飢えが解消されるようになり、土木事業の社会事業化を朝廷に認められるようになり、豪族からの資本提供も受けました。

農業土木事業が形作られ、公的に認められました。

 

農業土木の技術が発達したため、特に開墾などの農地拡大を推進し、農家を潤わせて税を安定して取りやすくするため、3代まで開墾した土地の所有を認められるようになりました。

さらに、聖武天皇により墾田永年私財法が制定され、開墾した土地は永年で所有してもよいことになり、農業土木への関心が高まり、朝廷をあげての事業も多く行われることになります。

朝廷をあげての事業で、例をあげるとすると空海のため池事業があります。

香川県は雨が少なく、大きな川が少ないので、田んぼが干害にあうことが度々あり、水不足が深刻であり、讃岐の国司が満濃池というため池を、朝廷の役人の支援のもと築造しました。

しかし、当時の技術では、大きな水圧に耐えきれるほどの大きな池を築造することは容易ではなく、決壊が度重なりました。

そのころ、讃岐出身の空海が唐から最新の土木技術を得て、帰国しました。

地元の危機のため空海に白羽の矢が立ち、築池別当(池を作る最高責任者)の勅命が与えられ、満濃池の改築工事を行いました。

空海は、ため池に「余水吐き」と呼ばれる一定水位以上の水を下流に流すものを設置されました。これは現在のため池整備にも使用される技術です。

さらに、工事は3か月ほどで短い期間で行われ、高い土木技術で工事が行われたことが分かってます。空海のおかげで、満濃池は日本最大の灌漑用のため池として現存しています。

ため池整備の先駆者として、空海は農業土木の歴史に名を残しています。

まとめ

不勉強ながらまとめさせていただきました。

勉強した本をこちらでまとめさせていただいております。
良ければ参考までにご覧ください。

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